ずっと・・・ずっと気になりつつ、
書きたいこと、お知らせしたいことがあるたびに、
気になっていたコラムですが、
やっとお久しぶりの更新です。
手話通訳のこと
手話通訳とはそもそも、
手話を音声言語に交換し、
音声言語を手話に交換する通訳さんのこと。
英語でもフランス語でもドイツ語でも、
通訳者さんたちは大変だ。
通訳してもらう方も大変だ。
だって、通訳さんは両方の言語を使いこなし、
その仲介サービスをしているのだから・・。
受ける方は、相手の持つ言語を知らなくて、
使えないわけで、
適当にはしょったり、
間違った訳をしてもわかりようがない。
信じる者は救われるのか・・。
私たちは英語ができなくて通訳者を介して話すことになんら抵抗がない。
フランス語はもっとかもしれない。
お互いに、知らなくても平等に立って、
通訳さんの伝えてくれる言葉を交換し合って仲良くなったりできる。
でも・・・手話の場合、ちと事情が違うような気がする。
私たち聴覚障害者は音声日本語を知っている。
手話も知っている。
どっちとも知っているのだけれど、
聞こえないから受け取れない、入ってこない。
ここら辺、なんともいえないもどかしさがある。
そして、周囲には、
ハンディキャップに対しての支援という要素がぷんぷん漂うのである。
ふと、思うのだが、
例えば、英語の通訳中に英語のスピーカーが通訳者と話してしまうってことあるのだろうか・・?
手話の場合、診察に同席した手話通訳と医師が勝手に話すことがある。
学校で手話のできる先生が通訳してくれる場合、
通訳なんだか先生の話なんだか、けっこうごちゃごちゃしながら生徒達は見ているだろうし。
会議などでも、通訳者が我慢しきれずに意見をいっちゃうことだってあるわけで、
手話通訳現場はまだまだ本当の意味で通訳に徹することができない状況が多いように思う。
それはなぜか・・・?
ここらあたりは、手話通訳者さんたちにお話しするときに、
しっかり話すとして、
通訳さんはやっぱり、大変な仕事だけれど、
聞こえない身になるとわかると思うけど、
聞こえないんだから仕方ないなと、
手話で堂々と生きて行こう!と思えるのは、
自分を正当に評価してくれるような社会に参加できたとき。
そのためには、不可欠な存在なのです。
なんとか手話通訳者が増えて、
ちゃんと食べていけるような道が拓けないかな~~。
手話通訳者の皆さん!頑張ってください!
ろう者の皆さん、頑張って手話通訳者を育てましょう!
なんだか嘆願書みたいになってしまった・・・。
最近の情文センターは、けっこうにぎやかで触れ合いが楽しいです。
相談業務の中ではあいかわらず頭抱えて唸っていることが多いです。
今年度も、元気で笑顔で頑張ります!
皆さん遊びにきてくださいね。